サンパウロ通信

「礼拝と母国語」 


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当教会には最近まで信徒奉事者を長年してくださっていたT兄弟と言う方がおられる。もうすぐ82歳になられるが、今でも100mを18秒ぐらいで疾走され、現在はマラソンと円盤投げに挑んでおられる。この方は13歳の時ご両親、弟さんと渡伯されすぐ唯一の働き手であった父親を亡くされた。その後、母親は再婚されたため、15歳から弟さんと二人で自活を余儀なくされ農業に携われた。その一生は一冊の本になるほど波乱万丈である。

それはともかく、六十過ぎて友人と経営されていた商店を閉め、引退されてから文字通り「六十の手習い」で、ブラジルの小学校から始めて、大学を受験され合格されるほどのポ語の実力をつけられた。大学合格することが目標であられたので、実際には入学されず、ブラジル人の方々と一緒に神学校で2年間聴講された。したがって年取った移住者の中では珍しいポ語の使い手である。私達が開拓伝道を始めてすぐに他教会から転籍して来てくださり、文字どうり貴重な協力者として教会の発展に携わってくださった。

しかし、この方は70歳を過ぎてから、日本語に拘られるようになられた。開拓伝道開始以来日本語礼拝が中心であったが、徐々に日系ブラジル人や、日系ブラジル人と結婚されているブラジル人の方々が教会に来られるようになった。これに対応する必要が生じ、私達の教会もポ語礼拝を併設したりした。一つの教会内の二つの礼拝堂と日語会衆とポ語会衆がが一体を保つため、第四日曜日のみは日本語礼拝を辞め、全員がポ語で礼拝するようになった。これに対して現在にいたるまで、納得されていない方がこのT兄弟である。こちらとしては何度も何度もその牧会的理由を説明したつもりであるが、いまだに納得してくださらないようである。

彼にとっては心からの礼拝・賛美が出来るのは母国語である日本語を通してのみであると言われる。この地でよく言われる言い回しに「entendo mas nao compreendo」がある。これは「分かるが理解できない」という言いまわしである。彼にとってはポ語が分かることと、日本語で神のみ言葉を理解し、主の食卓に預かることは別個のことであり、譲歩出来ないことなのである。私もそのことが60歳をすぎようやくおぼろげながらその感触が理解できるようになって来た。

彼は人生の大半をブラジルでブラジル人の中で過ごされ、商店を経営されておられたので、ブラジル人とだれよりも日々接しられ、交わられた方ではあるが、彼にとって母国語は母国語であり、年をとれば取るほどその母国語への依存度が増してくるものらしい。日本の教友からの便りで、恩師メリット博士も八十を過ぎられた頃から、ますます日本語が怪しくなって来られたという話しを聞いた。

魂を扱う教会にとっていかに言葉が大切であるか、恩師メリット博士の「分かるが理解出来ない」日語説教をかって若さにかこつけて批判した自分が、今、逆の立場でポ語の説教を批判される立場になっていることは皮肉なことであるが、それはともかく、なんとしても、このサンパウロの町で、少なくともあと5年か7年、日本語礼拝を年取った日本人信徒のため守って行きたいと切望する日々である。

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