<サンパウロ通信>
2001年7月 (2)
「主教と教区会」
今朝の当地の新聞に、サンパウロ郊外で「第39回ブラジル・カトリック教会全国司教会議」が一週間の予定で会議が開催されていたが、明日終了する事が報道されていた。
世界一のローマ・カトリック教国だけあって、集う司教の数も300人をこえているし、枢機卿も12人と報道されている。それはともかく、今回の司教会議のテーマは「教会生活に於ける司教のファンクション」であることに興味を引かれた。Bishopの機能に係わる神学的議論はさて置き、個人的に現実の教区の管理職としてのBishopのファンクションには大きな疑問を持っている。
一般社会の企業においても社長が10年ー15年とトップとして君臨することは同族会社を除き、上場の一流企業では極めて稀であるし、そのような長期政権は、企業の正しい成長にも人事にも弊害があることは周知の事実であるし、最近破綻した多くの大企業がそれを実証している。
また最近は四半期毎の決算では正しい経営判断がなし得ない、との判断から企業によっては「日次決算」を採用し、リアルタイムの経営をする企業もある。それほどIT時代にあって、的確な情報の共有が求められているとも言い得よう。情報が溢れまた多様化し、正しい情報を的確に把握する事が生き残りの条件となった現在に於いて集団指導制の必然性は論を待たない。また技術が日進月歩更新される世界にあっては、どのような優秀な企業経営者も集団指導性を否定する事は有り得ないし、10年ー15年の長期政権を続けることはまずない。それはその事実自体、企業の破滅を齎す危険をも包括している事を経営者は熟知しているからである。
企業経営と教会運営をごっちゃにする事は乱暴かも知れないが、人間の集団である事に於いて類似性もあると信じる。私の属する「サンパウロ教区」でも主教選挙を来年に控え、いろんな教会の会議の場で、かなり生臭い会話がされるようになった。法憲法規上はともかく、現実にはどの教区でも主教独裁であり、常置委員会や教区会に代表されるCollegialityやConciliarityがその正しい機能を発揮している例を、少なくともブラジル聖公会の中では知らない。
したがって、主教選挙の焦点はだれがなるか、だれがなればどうなる、だけが絶えず議論されているが、正しく教区に「集団性」と「会議性」を回復する議論は聞かれない。信徒代議員にとっては教区の将来、聖職にとっては文字通り運命を左右する「上司」を自ら選ばなければならないのであるから真剣にもなる。しかし、本当にこれでよいのであろうか、が私の疑問である。
企業においてはトップに求められる事は「会議性」を通して、会社の「方向付け」を諮る必然性が主体ではあるが、それに加え「持ち駒」をいかに有効に活用するか、またモチベイションを与えるかを「会議性」と「集団性」の中で諮る事が、がコオジネイターとしてのトップのファンクションであり、個人的な見識、力量や決断力だけが重要なのではないと思う。
現在のように聖公会にある主教への「権限集中」と「長期政権」に伴なう「会議性」や「集団性」の欠如は、現在の教勢不振の主因であると思うし、このままでは聖公会の将来はない、とまで思う。いかにして聖公会にあって正しく「Collegiality」と「Conciliarity」を回復するかが、今の最も重要な課題ではないであろうか。
主教は教区会とともにエピスコペーを分かち合わなければならない、という「会議性」と「集団性」を主教が正しく認識する事はそんなにも難しい事なのであろうか。(17・07・01)
The Revd.Canon Hiroshi Ito
Rua dos Buritis,703, 04321-002
Sao Paulo,SP.,Brazil
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