<サンパウロ通信>
20001年3月
『献金問題再び』
「宗教はお金がかかる、これが常識のようになっています。そのことが、救いを得たい人を遠ざけているのかもしれません。」 これは昨年10月のサンパウロ通信で献金問題に触れたのに対して、数多く頂いたD/Mの一つの一部分である。
他の方も「わたしにとっては「任意」ではなく悲壮感漂う義務に近いです。先月、月約献金をささげるタイミングを逃し、翌月分と一緒にささげることになってしまいました。当然のことですがその金額だけその月の収入が減ります。その結果、自転車操業が行き詰まってしまいました。電気料などが引き落とせなくなってしまいました。」 と書き送ってくださった。
「献金を払えない信徒は教会へ行くことが出来ません。いまの教会は、健康で、時間とお金がある人でないと行くことが出来ません。」と悲壮なメールを下さった方もあった。また、ある若い女の方は(引用始め)「お母さんが中国残留孤児の娘さんがしばらく教会に来てました。 日本語がまだよく出来なくて...お仕事もなかなかたいへんそうでした。献金はいつも300円。この300円の献金の重みを思うと....
貧しいものにとって、生きていくのがやっとのもの達にとって、礼拝中に集められる献金&毎月払わないといけない月定献金のプレッシャーってけっこうなものだと思います。教会に行くが故に、感じる必要の無い後ろめたさを感じたり...惨めさを感じたり...
。こういう方々も、後ろめたさを感じること無く、安心して集える教会に成らなければいけないのではないでしょうか?(引用終わり)」 と書き送ってくださった。
もちろん、これらは少数意見であるかも知れない。しかし、そういう少数意見の方々は自然と教会から離れていかれたのではなかろうか。
そしてイエス様が最も大切にされたこのような人達を教会はいつも失っている事が、クリスチャン人口が全人口の1%にも達しない現実を作り出してはいないだろうか、と思う。
ある方は、献金問題を解決する為、「教会の「立派な」建物は発展的に解消し、原始教団の時代の家庭集会や愛餐に戻るというのも、ぶっとんでいるように見えて実は最も現実的な刷新の方法かもしれないな、と。」
とも書き送ってくださった。
これらのDMを公表するエチケット違反を今回私が敢えてしたのは、どうしてもこれらの方々の思いを皆様にもシェアーして頂きたいという思いが勝ったからです。 合掌。
The Revd.Canon Hiroshi Ito
Rua dos Buritis,703, 04321-002
Sao Paulo,SP.,Brazil
サンパウロ通信インデックスページへ
ホームへ
|