『新しく教会を訪れる方』
毎年、実家への里帰りを兼ねて2週間ほど日本に滞在し始めて20年ぐらいになろうか。そしてその間の日曜日は勉強のつもりで、出来る限りいろんな教会を訪問している。実家が奈良であるので大阪・京都教区の多くの教会を訪問してきた。私服で一求道者として教会を訪問している。今回は京都のさる大教会を訪問してショックを受けた。前もって電話で礼拝時間を電話で確認していたが(電話に応対された司祭らしき方に、自分は旅行者であるが礼拝に出たい旨話しても、どこから来たかも、名前すら聞かれなかった)、教会学校を見学したい思いもあったので少し早めに教会に着いた。当日は主教訪問日で礼拝堂の前を多くの方々が右往左往されていた。入り口のテーブルには祈祷書などと一緒に来会者記録簿が用意されていた。話し掛けてくださる方もないまま、名前を記入し礼拝堂で礼拝開始を待った。小一時間ほどして礼拝が開始されたが、その間、全く誰一人として話し掛けてくださることも無く、そのまま礼拝後その教会を立ち去った。
もし、ある求道者が本気でキリスト教に関心を持ち勇気を奮い、初めて教会を訪れたとするなら、二度とその教会には戻らないのではないだろうか。これは極めて極端なケースではあるが、訪問した三分の二の教会は新来者に対して全く関心がないように冷たい応対であった。確かに入り口で直ぐに話し掛け、礼拝堂まで丁寧に案内してくださる教会もあったがその数は残念ながら少なかった。
USPGからの信徒宣教師で、大阪で働かれた青年は「日本の聖公会は宗教クラブになっている」と言っておられたそうであるが、その彼の言葉をある意味で認めざるを得ないのではないだろうか。扉が外に開かれた教会ではなく、あくまで馴染みの集まる閉鎖的な宗教クラブと言われても仕方が無いのではないだろうか。
この出来事を反面教師として、私は自分の仕える教会の教会員に対して、新しく教会を訪れる方に絶対淋しい思いを感じさせないように、必ず新しい方を見たら話し掛け、暖かい応対を為さってくださるよう、繰り返し繰り返し要請してゆきたいと思っている。また、これらの自らの経験から私自身も礼拝前の30分はとにかく、なにがあっても礼拝堂の前で待機する習慣を持つようになった。
The Revd.Canon Hiroshi Ito
Rua dos Buritis,703, 04321-002
Sao Paulo,SP.,Brazil