サンパウロ通信
2000年11月



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「私の再就職」

    
「先生、私はとても嬉しいです。先生が再就職されて」と礼拝後の報告での私の再就職報告を聞いた後、83歳になられたTさんが私に言った。最初はなぜ嬉しいと言われたのか、と考えたが生活の為、つい最近まで働いておられ、80になる少し前頃には本気で日本への「出稼ぎ」を考えられたTさんにとり、家庭の事情で60歳を過ぎ、再就職をした私の姿がとても身近に感じられ、思わず「私はとても嬉しいです」なる言葉が出たのであろうと理解した。
  
末娘が二人の子供を抱えて夫と別居し、たちまち生活費に事欠くようになった。老夫婦の生活設計にはもちろん、このシナリオはなく、教会委員に相談できる問題でないことは開拓伝道で始めた教会だけに、自分が一番知っており、さりとて老後の蓄えを使っていけば将来問題が生ずるかもしれない。そんな思いで居た時、新聞の求人広告が目に入った。
  
ブラジル聖公会はその伝道開始時より北米聖公会の庇護を受け、「負んぶに抱っこ」で、自力で伝道を支える訓練は全くされていなかった。ところが私が当地の神学校を卒業した頃から、当地の教会への北米の教会の財政援助が突然カットされた。教区の財政状態が破産状態になり、主教命令で牧会のかたわら、略、全ての牧師が生活費を自ら稼ぐ為,教会外で働くようになった。

そして二十数年、牧会のかたわら銀行の役員として貸出の焦げ付き問題の解決に追われ、夜も碌に眠れぬ1年ほどの苦悩の後、本気でこれでは死ぬ、と思い,子供も一人前になっており、夫婦二人だけならなんとか暮らしていけると思い、サラリーマンに別れを告げ二足草鞋を脱ぎ牧会一本に戻った。

そして、フルタイムの牧師に戻って10年近く、ましてや60歳を過ぎてから再就職することは、正直老後の計画にはなかった。牧会と社会活動・ボランティア活動にのみ携わっていた時の出来事であった。求人広告を見て履歴書を送り、選考試験に臨んだ。たった一人の求人に8人が応募していた。なんとか選ばれ就職して6ヶ月になる。60歳を過ぎてからの再就職はラッキーとしか言い様がない。

再就職後の最初の仕事は、リストラで3人の部下の首を切ることから始まった。小さな組織なので自分でそれを言い渡さねばならない。遊びで働いている人は一人もいない。働きにそれぞれの生活がかかっている人たちに解雇を告げる事はせつなく、また辛く,胃が激しく痛んだ。「解雇告ぐ心に残す枯野かな ひろし」

再び現実の社会の葛藤の狭間の只中で、み言葉を考える全てのキリスト者と同じ生活に戻ったことは、現実の社会からともすれば遊離し始めた私への主の導きと今は感謝している。年であるのであまり長くは続かないとは思うが、孫の笑顔を糧に出来れば数年は頑張ってみたいと思っている。

サンパウロ 伊東


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