サンパウロ通信
2000年10月



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「献金」

「先生、私は娘に養われており,会費を払えませんですが教会に来ることは構わないでしょうか」。先日80歳を過ぎてから,最近教会に来られるようになった老婦人から礼拝堂で尋ねられた。私達の教会では礼拝献金は新しく来る方への考慮から、礼拝中に集めることはしないで、入り口の机に籠がおいてあり、各自が任意に入れる。しかし、その横に教会員の月約献金袋を収めた箱がある。この婦人はそれに気づき、教会に通う為には「会費」を納めなければならない、と考えたのも無理はない。当地でも県人会でも俳句会でも会費はお決まりであるから、そう思われたのも無理はない。礼拝堂という建物があり、保全・維持に費用がかかるから、維持費を取るのはある意味で当たり前ではあるが、そのことによってどれだけ多くの経済的に恵まれない人にバリアーを設けているかと思う。正直なところなんどか、月約献金を全廃し、任意の礼拝献金だけにしようかと考えた。当然、そうすれば献金全体が減少することが明らかであるがゆえに実行する勇気を持てないで来た。しかし、その事実はまさしく現在の献金がある意味で「任意」ではないことも意味するのではないだろうか。

極論かもしれないが「キリスト者の交わり」が伽藍を持ち始めた頃から、その交わりはその純粋性を失い始めたのではないだろうか。その意味で真の「キリスト者の交わり」は固有の建物を否定した「家の教会」に原点を持つようにも思う。もちろん、そこには職業的な宗教者も必要ではないし、ただ主にある生き生きとした交わりがあるのみである。この原点へ思いを寄せ,現状打破を図ることが今,全ての宗教に求められているようにも思うが。
(2000・10・3)

サンパウロ 伊東


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