『随想』 サンパウロ通信
2002年10月号
『30年の祈り』
サンパウロから700キロの奥地にあるアリアンサ植民地(契約の地)の創設に関わった3人の内、2人が聖公会員であったことはあまり知られていない。
この関係で聖公会の伝道が伊藤八十二師によって日本人移住者の間でなされたのは、植民地創設の翌年の1925年であった。そして隣接地に同じく松本聖十字教会出身の聖公会員の輪湖俊午郎氏の計画によって1200家族が新たに入植し、チエテ植民地が創設されたのは今から74年前の1928年であった。
すぐに聖公会の伝道が開始され、弓場司祭によって聖アンデレ教会が設立された。この教会にはその後、シェリル主教の要請で日本で宣教師として活躍されていた故ハンセン司祭が長く牧会されたほか、ナザレ修女会の千代修女、順修女やプール学院の秦山みつ前中高校長もかって滞在された。
一時は日本人移住者の最も代表的な移住地であったチエテ植民地(現在のペレイラ・バッレト市)は、現在ではその日系人の殆どがサンパウロ市に移動したほか、ダム建設で大部分が水没し、日系人は千人数える程度と言う。しかし、聖公会の信徒は200人を数え、仏教、生長の家と並んで日系人の代表的な宗教となっている。
この聖アンデレ教会で先月の最後の日曜日、約20人の日本語礼拝者とともに、日本聖公会の祈祷書に準じ、洗礼式と堅信式が執り行われた(ポ語会衆は主として三世・四世の日系人で別個にポ語で礼拝している)。
洗礼・堅信受領者は、今年70歳になられた移住者の老兵Tさんであられた。故小野司祭が一生懸命伝道され、同司祭亡き後はその遺志は長女のアンナ姉妹に引き継がれ、今回30年間の伝道と祈りが実り、Tさんは70歳にして受洗を決意された。日本語祈祷書による堅信式が海外で行われるのは、もちろん最初であろうし、これが最後との思いもあって私自身感慨無量であった。
昨年末、同教会の主任司祭の玉置司祭(ウイリアムス神学館出身)が、マットグロッソ州での開拓伝道に携わる為転出されてから無牧となり、近接の教会のブラジル人司祭が管理司祭として勤務されるほか、同じく隣接の町に在住の森司祭が嘱託として日本語礼拝を担当されておられる。来年には今年神学校を卒業する若いブラジル人執事に定住して頂ける様よう祈っている。
サンパウロ 伊東
サンパウロ通信インデックスページへ
ホームへ |